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「タトゥーとはいつも身につけておける、お守り?...その本質について」

多くのお客様はご自身が信じるもの、とても好きなもの、大事にしているものなどを図案化したタトゥーデザインをご希望されます。

自ら信じるものを具体性の有る形にして身につけますと、自分の信じるものと自分自身が一体となる安心感や安堵感が生まれ、それに守られているような感覚を持つ事が出来るのかもしれません。

また、大切なものを24時間365日身につけておけますと、人生を前向きに生きるための幸福感につながるのかもしれません。

手に入れるためには相応の痛みも伴いますし、一旦入れてしまうと簡単に消せなくなりますので、簡単に変更出来る服装や髪型とは違い、単なるファッションではなく、より重みのある「決意表明」としての側面も備わっているのがタトゥーというボディアート:身体装飾文化の本質なのです。

タトゥー(刺青:入れ墨)とは、
お客様それぞれにとって、決意表明を兼ねたお守りのようなものなのです。

太古の昔、部族社会時代には、利害敵対集団との抗争があると多くの男性は戦士として戦う事になりました。

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太古の人々がタトゥーカルチャーを生み出した目的は、敵と相対した時に、身体に入ったタトゥーが刀傷に対する痛みへの強さをアピールする事に繋がり、それによって相手が畏怖の念を持つことから、結果的にタトゥーをアピールすることが生き残る確率を高めるという合理性の側面が有ったと考えられています。

また、タトゥー文化を持つ部族社会では、位の高い族長ほどに大きなタトゥーを入れている例が多数散見されます。
このことからは、当時の責任の重い高い位の人間ほどに、大きな苦痛に耐えられる精神力を持ち合わせる必要があり、それに対する民衆の尊敬の念が部族社会の秩序を維持するために必要であったことが推測されます。

タトゥーは大きくなればなるほど苦痛も大きくなります。その苦痛に耐え、部族固有の文様で身を飾ることこそが、部族の長たる者の資格条件であったのです。タトゥーの大きさが、そのまま族長としての名声となっていた時代が有るのです。

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また、太古の人々は、「絵」にも魂や神が宿ると考えていたため、自らの身体に想像上の動物や自然界の動物を図案化したタトゥーを彫る事で、その強靭な生命力にあやかり永遠の命を得ようとしていたのかもしれません。
現代に比べて人間の寿命が極端に短かった時代ですから、そういった生きることへの切実な想いがタトゥーの背景に込められていたことも想像されます。

そういった原始的宗教側面においても、タトゥーは大変に貴重な人類文化の鍵であったと考えられています。

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さらにずっと時代が進んで、江戸中期〜末期の我が国では、籠かき、大工、火消し、飛脚、漁師、武家の次男坊以下、歌舞伎役者などに、刺青が大流行する社会現象が見られ、やがては人に肌をさらす仕事をしている人間は入れ墨(刺青)が無ければ恥であるとみなされる風潮にまでなります。

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日本の伝統的な民間宗教である神道においては、「タトゥー(刺青:入れ墨)が入った人間を刀で切ると、その報いを受ける事になる」という言い伝えが残っていたため、自分の身体に彫る「お守り」として、また、万が一の時の為の身元確認の印として、刺青:入れ墨が広く江戸の人々に愛されるようになります。人々は有名浮世絵師が描く新作を心待ちにし、競ってそれを刺青(入れ墨)として自分の背中に背負う事で、江戸の伝統和彫り文化が花開きます。


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このタトゥー(刺青:入れ墨)がお守りであるという発想は西洋文明の世界でも同様で、「タトゥーを入れた身体を銃で撃つと、その報いが戻ってくる」と言い伝えられています。欧米の警察官や軍人が今でもタトゥーや入れ墨(刺青)を入れる習慣が有るのは、この伝統を守っているからです。

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縄文人と共通の血統を持つと言われている北海道の先住アイヌ民族が継承してきた北方民族文化圏文化においては、男性は狩りや漁労の腕が上がるように願って手や肩にタトゥーを彫ったり、女性は将来が幸福になるように願って手や腕、顔にタトゥーを彫る風習を持っていたそうです。タトゥーを入れなければ神の怒りに触れ、アイヌ民族としてのまともな人生を送ることが出来ないと考えられていたようです。

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この場合は子供の未来の幸福を願う親心が、「お守り」としての精神的な願いを込めたタトゥー:刺青:入れ墨へと具象化されたものです。当時は、"彫りの苦痛に耐える事によって成人として認められる"という成人の儀式的な意味合いも強かったものと考えられています。

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アイヌ文化と言いますと一般の日本人に全く縁のないもののように捉える日本人も多いかもしれませんが、前述致しましたように、アイヌ民族は日本人の祖先でも有る縄文人とルーツを一つにしている民族でも有り、その文化には数多くの共通性が認められております。縄文時代の数多くの土偶や中国の古い文献にも残されているように、日本人のルーツである縄文人はアイヌ民族と同じようにタトゥー(刺青:入れ墨)を身体に彫る文化を持っておりました。

弥生時代の中国の史書(歴史書)、「魏志倭人伝」には「男子は大小と無く、皆黥面(げいめん:顔面タトゥー)文身す」(大人も子供も変わりなく、皆顔に刺青を入れている。)との記述がみられ、その他にも、階級によって刺青のデザインに違いがあることや、それが魔除けの意味を持つこと、漁師たちが獰猛な魚を避けるために入れていたことなどが記されております。

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この縄文人達は太平洋南方諸島の先住民族達が強い海流=黒潮に乗って日本海岸に漂着して集落を形成し、一部は陸続きだった頃にシベリア方面から南下してきたと考えられておりますので、この風習は日本人(倭人、縄文人)やアイヌ民族、琉球人のみならず、北方民族から太平洋諸島に分布する島々の民族に広く共通する重要な文化であったものと考えられております。

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この「お守り」「決意表明」は絶対に落としませんし、雨に濡れても消えません。

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