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TATTOO WORLD CHRONOGY TATTOO WORLD CHRONOGY

10,000年以上も前の旧石器時代の遺跡から、人骨と共にタトゥー彫りに使用された天然色素が入った皿、先の尖った棒等が発掘されています。
タトゥー:入れ墨(刺青)には来世への神秘的なパスポートとして用いられていた宗教的な歴史も有ります。
古代ケルト人は死後の世界でお互いを見つけあう為には"同じタトゥー"をしていなければならないと信じていました。

[世界のタトゥー年表]

紀元前4,000年頃

エジプトで発見された土器(人形)にタトゥーの痕跡が認められています。女性を模した「点」、「線」、「菱形」模様が施されており、後に発見されたミイラに見られるタトゥー模様のパターンと符合するようです。

紀元前3,300年頃

1991年にオーストリア国境近くのイタリア・アルプスで5,300年近くも氷河に閉じ込められた遺体、通称アイスマンが発見されています。
彼の体には無数のタトゥーが施されて居ました。
このように直接発見された事例や、人体を模った石像に残された文様などから、古代の人類社会において刺青文化が普遍的に存在していた事と理解されています。

紀元前2,160年頃

アムネット:Amunetと名付けられた女性のミイラが1891年に発掘され、彼女の体にはいくつかのタトゥーパターンが確認されています。
腕と太ももには平行な線パターン、そして臍の周りには楕円形の沢山のタトゥーが施されていました。

紀元前1,580年頃 

エジプト期の絵画や彫刻像から当時のエジプト人達がタトゥーを好んで居た事が解っています。
また、同時期のミイラにもタトゥーの痕跡が多数認められています。

紀元前1,300年頃

リビアで発見されたミイラから"戦争の神"や"太陽の神"、"酒宴の神"などのタトゥーが発見されています。

紀元前1,100年頃 

ポリネシア列島のタトゥーカルチャーにはさらに古い伝統が有るようですが、この時代の遺跡からタトゥー彫りに使用された道具類が発掘されています。
現在のサモアではこの時に発掘された道具とほぼ同じものを今でも使用しています。
部族によりタトゥーの持つ意味は様々で、ニュージーランドのマオリ族の顔には、その人のライフストーリー(死んだ時にどの様なストーリーで判断されたいのか)がタトゥーで記されていました。
ブルネオの先住民族はタトゥーが死後の世界での位置関係だけでなく、どのように死に至るか導いてくれるものと信じていたそうです。

紀元前413年頃

7000人のギリシャ兵士がイタリアを侵攻して負けたとき、すべてのギリシャ兵士の額にイタリア軍のシンボルである"馬"がタトゥーとして施されます。
その後、ギリシャ人兵士たちは奴隷として売却されます。

紀元前400年頃

ロシア人考古学者Sergei Rudenkoはこの年代の石器時代の遺跡から保存状態の大変良い"Pazyryksと呼ばれる部族の男女のミイラを発見。
男性の体にはロバ、鹿、やぎなどの動物のタトゥーがあり、女性の身体には神秘的な動物たちのタトゥーが施さされていました。

紀元前386年頃

ギリシア文明が発達して貧富の差が拡大すると犯罪が増えるようになり、哲学者、プラトーが"罪を犯した人間はタトゥーをしてコミュニティーから追放すべきだ"と説き、やがてそれが実行されるようになります。

紀元前330年頃

コンスタンチン帝王は「神から授かった美しさの象徴」顔へのタトゥーを禁止します。

西暦787年頃

ローマカトリック教皇Hadrianは大変野蛮であるとの理由により一般人のタトゥーを禁止。
ローマ帝国末期の兵士たちはタトゥーを入れることで脱走兵との識別を行なうようになります。

1,066年頃

タトゥーを嫌っていたWilliam率いるノルマン人はイベリア民族が確立したイギリスを征服。
当時、アングロサクソンの王様であったHarold二世は体のタトゥーから、この戦いでの死亡が確認されたそうです。

1099年頃

十字軍がモスリムからキリスト教の聖地であるエルサレムを奪回した際に、宗教的なシンボルである十字架のタトゥーを入れました。
小さな魚や十字架、あるいはキリストを入れ墨として彫ることで、お互いが敵でないことを確かめ合う認証機能を果たしていたようです。

1,566年頃

大航海時代のオランダ船船長がニューファウンドランドに到着した際、現地の北方型先住民族イヌイット達が身体に様々な文様のタトゥーを入れている事を発見。
タトゥーを入れた先住民族を利用したビジネスを思いつき、若い女性一人と子供一人をオランダまで連れて帰り、見世物小屋をはじめます。

1,585年頃

イギリスの芸術家で冒険家であったJohn WhiteはSir, Walter Raleighと共にアメリカ大陸で出会ったネイティブアメリカン(インディアン)が入れていた多数のタトゥーを写生して持ち帰ります。
数年後、Pocahontasの父、Powhatanに捕獲されたJohn Smith船長も北アメリカ大陸で出会った先住民たちのタトゥーについて記述を残しています。

1,691年頃

沢山のタトゥーを入れたフィリピン人奴隷Jeolyは「ペイントされた王子、Giolo」と名づけられて西洋の入れ墨文化の再発見としてロンドンで展示されます。
Jeolyは水疱瘡により、まもなく亡くなりますが「ペイントされた王子」はボディアートを見せることでお金を得た初めての人物として記憶に残されています。
ただ、Jeoly自身が進んで見世物にされることを望んだものでなく、また、彼自身にお金が入ったとは考えられません。

1,771年頃

James Cook船長と一緒に南太平洋を旅したJoseph Banksはポリネシアンタトゥーに興味を持ち、沢山の記録と自分自身の体に現地のタトゥーを入れてイギリスに持ち帰ります。

1,800年頃

アメリカの漁師たちは民間に伝承されたサメから身を守る意味を持つ"ドルフィンのタトゥー"を入れていました。
また、多くのネイティブアメリカンたちは自身の保護や防御のためのお守りとして動物等のタトゥーをしていました。
動物へのアニミズム信仰をタトゥーにして身体に入れる事によって、その動物の霊力なパワーを授受出来るものと信じていました。
アメリカではタトゥーがその汚名を捨て去るようになり、兵士達の士気向上を図るだけでなく、戦場での識別を容易にする目的から多くの軍隊においてタトゥーを奨励するようになります。

1,841年頃

Phineas T. BarnumはニューヨークにBarnum American Museumを設立。

 1,862年頃

King Edward VII(Prince of Weles) はキリストの聖地イスラエルへ行った記念に腕に十字架のタトゥーを入れます。
彼は終生、体にタトゥーを描き足したそうです。

 1,870年頃

アメリカ南北戦争でタトゥーをした戦士として名を馳せたMartin Hildebrandtが、ニューヨーク市でアメリカ初のタトゥーパーラーを開店。
Martin Hildebrandtの妻、Noraは全身に365個のタトゥーを入れていたそうです。

 1,879年頃

イギリスで社会格差が拡がるにつれ、犯罪者が激増。イギリス政府は犯罪者とそうでない者を識別するために、犯罪者にタトゥーを施すようになります。
近代のタトゥーカルチャーが持つアウトローのイメージはここを基点に始まります。

 1,891年頃

ニューヨークでアメリカ初のタトゥーパーラーを開いたHildebrandtの商売敵であったSamuel O'Reillyがトーマスエジソンの電動式彫刻マシーンを模して創り上げた世界初の電気式入れ墨マシーンで特許を取得。

1,927年頃

イギリス人の彫師George Burchettはタトゥーの見世物として有名人物であったGreat Omi氏の全身にシマウマ模様を施します。

1,944年頃

アメリカのSaturday Evening Post紙の3月4日号に、有名画家のNorman Rockwellが若い海兵隊員にタトゥーをしている模様がカバーストーリーとして採用されます。

1960年頃

アメリカのシンガー、ジャニス・ジョップリンは彼女のアルバム「Pearl」のアルバムジャケットにおいて、彼女自身のタトゥーを披露する事で新しいタトゥーカルチャーのシーンを作り上げます。
やがて多くのロックンロールミュージシャンがこれを模倣するようになります。

1,974年頃

アメリカのヒッピー彫師Lyle Tuttle氏がサンフランシスコにタトゥー博物館をオープンします。

1,976年頃

世界初のタトゥーコンベンションが1月24-25日の2日間テキサス州ヒューストンで開催。

1980年代頃

ロックンロールカルチャーの流行によって、ミュージシャン達のタトゥーが雑誌、レコード、テレビなどで露出されるようになります。

1,981年頃

Dr. Samuel Zukermanが映画業界のために化粧技法としてテンポラリータトゥーを開発。近代のアートメイク(タトゥーによるメイク術:コスメティックタトゥー)の技法が始まります。
アイライナーをタトゥーで入れたり、リップシャドーや頬にローズ系のピンクをタトゥーするようになります。

2,000年頃

欧米を中心にタトゥーカルチャーが大流行するようになり、法整備や新しい道具の開発なども進んでゆきます。

米国では近年18~29歳の青年層の間で刺青を入れる人々が急増。同年齢層の36%が刺青を入れ、ボディピアスなどを含めると48%に上るとの報道がなされています。
18~50歳の人々全体で見れば、刺青を入れている人々の割合も、2003年の16%から、2006年の24%(約4人に一人の割合)に上昇しているとされ、今後もこの割合は上昇するものと予想されているそうです。

[ロサンゼルス 2012.08.05 ロイター]
 米国で1000人以上を対象に実施された調査で、入れ墨(タトゥー)を施している人の割合は女性で59%、男性で41%となり、タフガイの象徴のように考えられてきた入れ墨が、女性の方により浸透していることが明らかになった。

調査は、タトゥーアーティストが賞金を目指して腕を競い合うリアリティー番組「Best Ink」を新たに放送するテレビ局と、調査会社のライトスピード・リサーチが共同で実施。タトゥーを入れている人のうち、他人に非難されても気にしないと いう人は89%に上り、職場の上司にも堂々と見せられるという人は46%いた。

女性の場合、体にタトゥーを入れるのは「共有体験」のためという人も多く、入れ墨経験者の4割が友人や恋人と一緒に行ったとしている。
Best Inkで審査員長を務めるタトゥーアーティストのジョー・カポビアンコ氏は「入れ墨の世界に足を踏み入れやすくなりつつある」と指摘。タトゥーを入れた有名人が増えていることも、女性の入れ墨に対する抵抗感を弱めているとみられる。

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